アイシェ事情 一覧

自分へのご褒美

手術という自分のこれまでの人生の中で一番の難局を乗り越えた私。
そんな私へのご褒美に、入院前から欲しいな~と思っていた物を購入する事にしました。
入院中もStoreの画面を見ては、早く欲しいなとニマニマしていた私でしたが、退院した日に即効Storeで注文し、それが12月3日に届きましたsign01
それは・・・。

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我が家にiMacが来ました~happy02
以前、iBookを使っていた事があったので、Mac自体は初めてではないのですが、デスクトップは初めて。ドキドキワクワクしながら開封してデスクに設置。
大き~~~いsign01
27インチモニターはさすがに迫力です。
我が家のApple製品も着実に増えている今日この頃。

iMacと一緒に購入したTime CapsuleをWindowsパソコンとiMacを繋いで、テスト。
なんとか環境としては整いました。
さて、楽しむぞ~happy01

初めての入院生活

今年2月に実施した人間ドッグで、かなり大きな子宮筋腫があることが発覚sign01
すぐに大きな病院へ行って、MRI検査をした方がいいと言われてしまいました。
実は、その予兆は数年前からあったのですが、サイズが小さいから様子を見るに留まっていたけれど、どんどん成長して、今回内診で見た状況では8~10cm位になっていました。

地元の婦人科に行ってみたけれど、こちらの質問に対し反応の悪い医師。
わからないから聞いているのに、いいでもなければ悪いでもない、反応がいまいちなので別の病院へ行ってみる事にしました。数年前まで居た地域の総合病院へ行ってみると、男のぶっきらぼうな物言いの医師。
とても自分の身体を預けるにはふさわしくない人だと思い、また別の病院を探す事にしました。
母の友人から東京の病院を紹介してもらい、初診で訪ねたらとても良い感じでした。
質問をすればきちんと答えてくれるし、こちらから質問するまでもなく、きちんと説明をしてくれました。

4月から月1回程度の割合で通院。
内診、検査、結果報告と進み、MRI検査の結果は、やや大き目の9~10cm程度の子宮筋腫が1つと、その周囲に小さな筋腫がいくつか固まっているのと、左卵巣に奇形腫というものがあるという結果でした。血液検査、腫瘍マーカーは問題なしで、良性の可能性が高いという事で一安心はしましたが、筋腫が大きくなると臓器を圧迫したり、女性特有の生理不順や出血が多くなるなどの問題がある。年齢的にも閉経を迎えるのはまだ早い年齢である事から、手術を勧められました。

手術をするには、今の大きな筋腫のサイズを少し小さくさせて、手術をしやすくさせる必要があるそうで、月1回注射で筋腫のサイズを小さくさせる事にしました。計4回の注射を打ってはみましたが、その大きさに変化が見られず、そのまま手術を進める決意に至りました。

初めての手術、初めての入院生活。
不安な気持ちがあるのは勿論の事で、仕事も手につかない日々が続いていました。
そうは言っても入院の日が近づくにつれ、少しでも前向きな気持ちになれるよう、入院中に必要な備品は、あくまでも私らしい物を選んでは購入し、少しでも明るい入院生活にしようと心がけてみる事にしました。
下の上履きは、病院内で履くためのスリッパ代わりに用意したもの。歩きやすいし、転ぶ心配もないからね。

 

<入院当日>
病室に案内されると、6人部屋の廊下側のベッドに案内され、看護師さんが丁寧に入院中の説明をしてくれました。新しいパジャマに着替えてベッドに横になる・・・。
元気だから横になっても眠る事が出来ず、持って来たiPhoneやiPadで時間潰し。

暫くすると麻酔科の先生が現れ、全身麻酔についての説明をしに来てくれました。
本当に麻酔が効くのか不安だった私は、「途中で麻酔が切れてしまう事はないんですか?」なんて質問をしてしまった位です。笑いながら「大丈夫ですよ!」と言ってくれたので、少し安心しました。麻酔が掛かってるいる間は意識もないし、気がついたら終わってるという感覚だそうです。

その後、昼前に主治医の先生が現れて簡単な挨拶をした後、出て行き際に「これからお昼ご飯を食べてもらうんだけれど、ビックリしないでね。」と言い残して去って行きました。ビックリする食事って何だ?
暫くすると食事が配膳されて来ました。

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うーん・・・なんじゃこりゃ。
間違いなくこれは流動食ってやつですよね?
初めての病院食なので、記念に写真を撮ってみる事にしたのですが、シャッター音がやけに響くcoldsweats01
早速TwitterやFacebookのネタに利用させてもらいました。

恐る恐る一口食べてみる。
・・・・・・bearing
完璧なまでの流動食でした。
左から時計周りに・・・リンゴ味、味噌汁味、芋味?、重湯。
ぬるっこい温度だし、正直厳しかったcrying
だけど飢える訳にはいかないので、全て流し込むようにして完食。

食後は、ほうじ茶で口直ししながら、一服・・・(リラックスパイポ)。
復活するまでに、しばらく時間を要しました。

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夕飯もこんな状況なのかしら?
既に夕飯への対策を頭の中で練りながら、映画の続きを観て過ごしました。
夕飯は18時に配膳に来ます。
ドキドキしながら届くのを待ちました。

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夕飯も同じくこんな感じの流動食。
左手前から時計周りに、重湯、魚味(アジの開きのような味)、モモ味、トマトゼリー。
魚まで流動食にしなくていいよーという泣きたい叫びが・・・。
だけど、味的には昼ご飯よりも全般的には食べやすい味に仕上がっていました。

職業がら食べ物には興味があるので、一応私なりに分析しながら口にし、また食べ物の写真を撮る事が趣味でもある事から、私が経験した病院食の写真を収めていく事に決めました。
明日は手術当日になるので、食事が摂れなくなります。
夕飯も全て完食して、手術に向けて栄養を整えました。

明日の手術を控え、夜はなかなか眠れませんでした。
21時消灯で横にはなるものの、2時間程度で目が覚めてしまいます。
再び寝付くのですが、また2時間程度で起きてしまい、その繰り返し・・・。
朝6時起床なので、寝たような寝ていないような、なんだか変な状態でした。

<手術当日>
朝の検温から始まり、バタバタとした一日が始まりました。
朝から食事が摂れない代わりに、腕には点滴で栄養が運ばれていきます。
そのせいか、お腹が減ったという感覚はあまり感じませんでした。

昼過ぎに手術着に着替え、14時頃手術室へと向かいました。
TVや映画で手術室に向かうシーンでは、ベッドに寝かされた状態で移動しているものが殆ど。
だけど私の場合は、点滴を押しながら自分の足で手術室へと向かいました。
ベテラン看護師さんに案内されながら手術室へと向かい、そこから手術担当の方へと引き継ぎを行いました。

手術台に上がり、脈拍などを計る計器類が手際良く付けられていき、アルミ製の布団のようなものが掛けられ、酸素吸入されたのと同時に麻酔科の先生が、「もう麻酔が掛かっているからね、すぐに効いてくるよ。」と言われました。まだ意識あった私は、「まだ意識がはっきりしています。」と言ったのもつかの間・・・「あれ?なんか耳がボワボワーっとしてきた。」・・・「あれ・・・なんか・・・」と言って麻酔が完全に回りました。

次に気がついた時には、数名の先生、看護師さんが私を囲んでいました。
体中がこわばっていて、声を出すのも一苦労。
「からだが・・・こわばっ・・・て・・・る・・・」とやっと声をあげたのですが、身体がこわばっている状態が、身体が冷えている状態なんだと気がつかされるまでに随分と時間がかかりました。
すぐさま身体を温めるために毛布のようなものが掛けられ、再び目を閉じました。

意識が朦朧としている中、次に気がついたのは母が呼び掛ける声。
通常3時間程度の手術が、私は5時間も掛かってしまったようです。
ふくよか過ぎる体系のせいか、お臍からカメラを入れるのに時間が掛かったそうです。
私の両足には血栓予防のため、マッサージ機のようなものが取り付けられていました。
祖父母の家にあったマッサージ機を思い出しながら、また再び眠りに落ちました。

<入院3日目>
まだ夜なのか、明け方なのかわからないまま、身体の痛みで目が覚めました。
私が行った手術は、腹腔鏡手術。
下腹部に3箇所位の穴を開けて、そこから金属の棒なようなものが差しこまれ、筋腫をリンゴの皮むきのように削って取り除く手術。
下腹部での作業環境を整えるために炭酸ガスでお腹を膨らませるのだそうですが、手術後その炭酸ガスが抜けるのと併せて身体に痛みが出てくるという話を聞いていました。
今となってはその痛みもどんなものだったか忘れてしまいましたが、身体全体が重苦しく足腰を動かす事もままならない。
ベッドに張り付いてしまったかのような重苦しさと、少なくとも身体の一部を切り開いている事での痛み、肩から背中にかけて重みのある痛みがありました。
ナースコールをして痛み止めをしてもらいました。
喉が渇いていたので水分が欲しいと訴えたところ、お水を口に含んで吐き出すのであれば良いという判断が出たので、看護婦さんにストロー付のコップを渡して水を口に含ませてもらいました。
その後再び眠りにつきました。

何度か痛み止めのお薬を入れてもらい(浣腸タイプ)ながらも、だんだんと身体が楽になっていく感覚がありました。
朝食後、身体を起こしてトイレに行くよう促されたので、重い身体を起こしてトイレに向かう事にしました。
寝ている身体を起こすのが一番大変で、起き上がる時に下腹部に力が入るので「いてててて・・・」と言いながら起き上がり、足を引きずりながらトイレに向かいます。
一応自力でトイレに行く事が出来て良かった~。
昼食にはプリンが付いてきて、かなり嬉しかったですhappy02

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昼過ぎに両親が来ました。
既にベッドから起き上がっている私を見て、母は驚いたのと同時に安心したようでした。
この日は家族や親戚が次から次へとお見舞いに来てくれました。
ハムもお見舞いに来てくれて、しばらくぶりに話をしました。
ハムが持ってきてくれたシュークリームをこっそり食べた事はナイショですbleah

<入院4日目>
トイレに行く事も随分楽になってきました。
食事も日に日に良くなって行って、今朝はパンとスクランブルエッグ。
ふんわりと温められたパンと牛乳を新鮮な気持ちで頂きました。

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入院4日目にもなると、さすがに寝ても寝ても時間が余る。
映画も観尽くしてしまって、ちょっと飽きてきてしまいました。
あとは体力を回復させるのみの身体ではあるものの、やけに食事が出てくるタイミングが早くて、寝てるか食事してるかの一日になりました。

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昼食はやっと重湯からお粥になりましたsign01
食事の内容も豪華になってきて、元気になってきた事を実感しました。

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夕飯は、もっとご飯粒がしっかり見えるお粥へと変貌。
たった一日の中で、こんなにも変わるもんなんですね。
そしてこの日、再び嬉しい出来事が・・・happy01
ナースステーションに「ガスが出たcatface」と報告しに行ったら、「ビスケットがあるから食べてねwink」と看護婦さんに言われて頂いて来ました。
順調に回復して、ご飯もしっかり食べているご褒美ですね。

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<入院5日目>

入院5日目は退院診察の予定でしたが・・・。
経過が良好であれば、明日退院の運びとなるのに、腹に力が入らず便が出ない。。。weep
病院食をまともに完食してるから溜まる一方なのに。

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病院食にもすっかり慣れて、まともな食事が出来る喜びを感じましたhappy01
退院までもう少し!頑張るぞー。
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昼食を食べ終わり、トイレに行ったら・・・・・出た~~~sadsweat01
すぐさま報告に行って、早く退院させろと言わんばかりのノリで主治医の先生を待ちました。
が・・・来ない。
結局、先生が来たのは夕方。
明日の朝一番で診察をして、退院手続きしましょうという事になりました。
 
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最後の病院での夕食は、かつ丼!!
なんか高カロリーだけど、食べてもいいのかな?って心配してる。
この日の夜はなかなか寝付けなくて、iPadで夜中まで映画を観て過ごしました。
 
<退院の日>
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朝食を済ませて、退院診察を待つ私。
退院出来る準備は整ってます!荷物整理だって、ほぼ出来てるし。
 
しばらくして主治医の先生が来て、診察をしてもらいました。
傷口に貼り付けてあったガーゼや絆創膏を外し、テープ1本になりました。
「このテープはお守り代わりに、自然に取れるのを待ってくださいね。」だって。
そして、退院許可がおりました~happy02
 
退院手続きの為、主治医の先生が書類を作成している間、私は会計をしに行きました。
戻ってくると看護師の主任さんが来て、「退院おめでとうございます。」とカードを手渡されました。看護婦さんたちが手作りで作ってくれたカードですcrying
「わー。ありがとうございます!いろいろお世話になりました。」
無事に手術を終えて、回復も早く、元気に退院出来たのは、先生と看護師(婦)さんたちのお陰です。心から感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございました。
 
両親が迎えに来てくれて、家路へと向かいました。

先日のブログ記事にも書いたモレスキン「伝説のノート」を読んで、モレスキンノートが欲しくなってしまった私。
普段ノートは持ち歩いているけれど、ここまでの使い方はした事がありません。
スケジュールやアドレス帳はiPhoneで管理しているので、手帳としての機能よりも、忘れないように書き留めておくもの、頭の中を整理するために書いているものが、ノートとしての役割になっています。
自分に使いこなす事が出来るか?という疑問もあっけれど、それよりも購買意欲の方が勝ってしまったようです。たまたま本屋をのぞいたら売っていたので、即お買い求め。
今日から私も「モレスキンデビュー」です。

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このモレスキン(Moleskine)は、イタリアのモレスキン社(Moleskine, 旧社名:Modo & Modo)が販売する手帳のブランド。撥水加工の黒く硬い表紙と手帳を閉じるためのゴムバンドが特徴です。ゴッホ・ピカソ・ヘミングウェイ・チャトウィンなどの芸術家や思想家に愛用されてきたノートとして知られています。
使い方も様々で、文章を書くだけでなく、イラストを描いてみたり、マインドマップ、読書や映画の感想、料理のレシピや普通に手帳として利用する人もいるようです。

私は初心者なので、まずはポケットサイズのルールドブック(横線の入ったノート)からスタート。カバーの色は本来の黒ではなく、赤モレスキンを選択。ノートを手に入れたら、ボールペンも欲しくなり、ブックバンドも欲しくなり、ポストイットも欲しくなり・・・と一通り揃えないと踏み出せない私(言い訳)。まずは形からということで・・・coldsweats01
使い方は自分次第。今日から少しづつページを刻んでいく事とします。

<私のモレスキンノートへのこだわり>

  • デジタル(iPhone)とアナログ(Moleskine)を上手に使い分ける。
  • 外見はゴテゴテとした装飾はせず、ヨーロピアンスタイルでまとめる。
  • 写真、ポストイット、シール、スタンプなどを使って、楽しく続けられる中身にする。
  • いい機会なので、マインドマップをきちんと理解し、サラサラと書けるようにする。

pc MOLESKINE

会社帰りの電車の中で、たまたま見つけた書籍の広告。
モレスキン「伝説のノート」と書かれた書籍が、ちょっと気になったので、帰りがけに本屋に立ち寄ってみることにしました。
これまでも、「○○手帳の使い方」だとか「×××活用術」なんていうHow To書籍を購入した事があるけれど、今回のこの書籍は、正直ひとめぼれに近いものがありました。

そもそも、モレスキンって何?ってところからだったんだけど・・・coldsweats01
パラパラと書籍を見てみると、それはモレスキンというノートのことだという事がわかりました。
ただノートと言っても、普通のノートとはちょっと違うようです。

私はiPhone利用者ですが、仕事柄ノートと4色ボールペン+シャープペンが1本になったペンを携帯しています。完全デジタルになれない理由、それはノートの方が思いついた事をササッと書きとめる事が出来るし、書いた文字を丸で囲ったり、線で結んだり、絵を描く事も出来るから。
デジタルだと、それがなかなか難しい。

ノートが手元に無くて、誰かに自分の考えを図やイラストなどで表現したい時は、箸袋やランチョンマットの裏、紙ナフキンなんかを使って書く事もあります。
そんな私だから、ノートという言葉に惹かれて、この書籍を即効買い求めていました。

今、30ページ位を読み終えたところですが、こんな使い方があるのかと感心させられたり、ノートの領域を遥かに超えた使い方をしている物もあったりで、なかなか面白そうです。
数日後には、モレスキンノートが手元にあるかもしれませんねhappy01

地震大国日本。
そう言われている事は十分認識していたつもりでしたが、今回の東北地方太平洋沖地震では、これまで私が経験してきた地震の中でとても身近で、ショッキングな出来事でした。

地震発生!その時わたしは・・・

この日私は、仕事で外勤をした帰り道、上司に頼まれて、有楽町にあるお菓子屋さんに買物に出掛けていました。素敵なショップの中には、美味しそうなお菓子が並べられていて、食べるのが勿体ない位の代物ばかり。トレーの中に、チョイスしたチョコレート菓子を並べて、レジの順番待ちをしていた時に、地震が発生しました。

最初は(あ!地震だ)と思う程度でしたが、段々と揺れが大きくなり、店内の照明も右に左にと大きく揺れています。慌てて店を後にする人、悲鳴をあげる人、その場で様子を伺っている人、いろいろな方がいましたが、店の方に促されて、私も手にしていた商品をその場に置き、歩道へ出ることにしました。地面はまだ揺れています。
オフィスビルから道路へ出てきた人たちは、頭上を見上げたり、携帯電話で連絡を取り合っている人たちもいました。

今回は大きいぞ、何か違うぞと思いながらも、揺れが収まったので再び店内へ戻り、早々に買物を済ませて駅の方へ向かいました。地震の影響で、JRは運行をストップ。駅周辺には沢山の人たちが集まっていました。
会社に電話を入れてみると、電話口に出た同僚が真剣な面持ちで、どこにいるのか?大丈夫かと言って来ました。とりあえず自分の安否を伝え、しばらく様子を伺っていましたが、電車は当分動きそうもなかったので、歩いて会社に戻ることにしました。

歩いていると、携帯電話直営店に設置されたTVが、歩道から確認することが出来、沢山の人たちがそのTVを観ています。私もその中に加わり、震源地はどこだったのかを確認してみました。
震源は三陸沖(牡鹿半島の東南東、約130km付近)で、深さ約24km、震源域は岩手県沖から茨城県沖まで南北約500km、東西約200kmの広範囲に及ぶとされ、各地の震度が表示されていました。
家に電話を掛けてはみてもつながらない、会社に再度電話を掛けてもつながらないという状況の中で、余震が来るかもしれないから、とにかく会社に戻ろうと決めて、足早に会社へ戻ることにしました。

やっとのことで会社の建物に着くと、今度はエレベーターが止まってる・・・coldsweats02
階段を使って上る途中、階段の壁面にはヒビ割れが生じていた箇所もあり、漆喰が剥がれて階段のステップに散らばっていました。フロアーに戻り、戻ったことを周りに伝えると、私同様、外勤に出て戻って来ていない人たちもいるとのこと。
余震も続いていて、建物がユラユラとまるで船にでも乗っているかのような揺れが頻繁にあって、かなりの気持ち悪さを感じていました。

ハムと合流して・・・

就業を終えるチャイムが鳴ると、早々に帰り支度をする人たちがいました。
ラジオやネットから得られた情報では、大きな津波が発生して沢山の地域を飲みこんで行ったとか・・・。電車は相変わらず動いていない状況の中、歩いて帰る人たちが殆どでした。

丁度この日、私はハムとライブに行く予定にしていたのですが、こんな状況なので中止にしようとハムに連絡を取っていました。しかし、電話もメールもなかなか捕まりません。やっとの事でメールが受信出来たので内容を見てみると、撮影の仕事を終えたハムは、一度自宅に戻ろうとしたけれど、電車が動いていないので、私のいる会社近くまで来ているという内容でした。すぐにその場所へ向かい、お互いの安否確認が出来た後、一緒に帰ることにしました。

道路は車で大渋滞。歩道は帰宅する人たちですごく混み合っています。
ビジネスホテルは既に満室、カラオケも満室、時間を潰す事が出来そうな所は、既にいっぱいです。お腹も空いてきたので、歩いている途中で見つけた居酒屋さんで、2時間少々時間を潰しました。今日は電車も動かないと決めているようで、歩いて帰るしかなさそうです。
半ば追い出されるかのように居酒屋を出た後、再び歩き始めた私たち。

歩いていると普段では気がつかないスポットがあったり、帰宅者支援でトイレを貸し出してくれていたり、携帯用カイロをご自由にどうぞというものまであります。
歩いても歩いても先は遠く、ヒール靴を履いていた私にとっては、足への負担がかなりきつい状態でした。

翌2時過ぎ、さすがに足が重くなってきて、バス停でひと休みする事にしました。
2/3位は来ているものと思いながら、これから先の経路を見るために、地図アプリを見てみたら、まだ半分以上もある事に今更ながらに気がつく私・・・bearing

さすがに疲労もピークになって来たので、近くで休める場所を探す事にしました。
電柱に貼り付けられたチラシを見ると、近くにある高校が帰宅ステーションとして開放していると書かれてあります。
重い足を引きづりながら、その高校へと向かうことにしました。

帰宅ステーションにて・・・

板橋にある都立北園高等学校という所が、帰宅ステーションとして開放されているという事で、立ち寄る事にした私たち。
事務所にいた職員さんから毛布を手渡され、柔道部の稽古場へと案内されました。

銀色の袋に入った真新しい毛布を取り出し、稽古場へと入ると、既に何組かの帰宅者が横になっていました。ツンと鼻に来る男臭さは、まさに柔道部・・・だけど、この状況下ではそんなことは言ってられません。
自分らが横になる陣地を決めて、すぐに横になったのですが、この日の夜はかなりの冷え込みの上、私はかなりの薄着。手足が冷たくなってしまっていて、毛布にくるまってじっと寒さをこらえて寝る事にしました。

翌朝、職員の方が話している声で目を覚ましました。
7時に電車が動き始めるというので、私たちもそれに合わせて出る準備をし始めました。
新聞が何部か用意されてあったので見てみると、一面見出しには「東日本大震災」と大きく書かれてありました。

最寄駅に行ってみると、まだ電車は動いていません。
まだしばらく時間がかかる様子だったので、駅前のカフェでひと休み。
体が冷え切ってしまっていたので、温かいコーヒーが本当に心地よかったです。
1時間待っても電車が来なかったので、ここからタクシーで帰ることにしました。
なんとか家に着き、すぐさま温かいお風呂に浸かって、横になりました。
昨日からTVを観ていなかったので、状況がつかめないでいたのですが、刻一刻と変わる被災者の数、地震と津波による被災地の様子に、心が傷みました。

東北地方太平洋沖地震によって、お亡くなりになられた方々に深く哀悼の意を表しますとともに、ご遺族と被害に遭われた方々に心からのお見舞いを申し上げます。

やっと終わった~saddash
私のブログ「アイシェの悠々自適SL生活」と「ハム&アイの悠々閑々RL生活」ですが、海外からの多用なコメントによって、管理が出来なくなってきたのと併せて、Movable Typeのセキュリティ問題もあったとかで、Movable Typeを5.04にバージョンアップさせる事にしました。

簡単に行くと思いきや、これがなかなか大変な作業で、この2週間位はこれに掛かりっきりの毎日でした。もしかしたら、もっと簡単な方法があったのかもしれないけれど、ブログ記事数としては、まだ少ない方だったから、一から建て直したような感じですcoldsweats01

1. 海外からの多用なコメントを削除(消すのも一苦労)annoy
2. 旧バージョンからブログ記事を抜き取る(バックアップデーター、エクスポート)。
3. 新バージョンをインストール。
4. 新バージョンで、1のバックアップデーターを復元させようとしたが、拒否されたcoldsweats02
5. エクポートの方でブログ記事は復活。
6. ブログの階層を変えたので、画像のアドレスを修正(修正作業も大変・・・)shock
7. ブログのテーマを適用、体裁を整える、プラグインの追加など・・・wobbly
8.更新していなかった記事を作成。

とまあ、全体的な流れはこんな感じでした・・・疲れたsweat01

いつかは持ちたいと思っていた、デジタル一眼レフカメラ(デジイチ)を、とうとう買ってしまいました?happy01
10月末に箱根に行った時(乗り物三昧の箱根旅)、momoさんが手にしていた一眼レフを見て、それまでおとなしかった購買意欲が、急浮上。
それに輪をかけて、ハムとカメラの話をしていたことで、またまた再燃。
ちょうどボーナスも間近に迫っていたこともあって、購入に踏み切ってしまいました。

機種は他社とも比較はしたけれど、第一印象でNikon D5000にしました。
自由にアングルを変えられる液晶モニター付きの設計になっているので、比較していた他社品と比べると、重さもゴツさもあるけれど、返って重厚感があるので気に入ってしまいました。

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これまで私が所有していたカメラは、全てがコンパクトタイプのデジカメだったので、デジイチ初心者になります。
シャッタースピードだとか、絞りだとか、その言葉の意味すら理解出来ていない状況なので、これから撮影しながら学んでいきたいと思っています。

クリスマスも近くなり、都内のあちこちではイルミネーション真っ盛り。
上手に撮れるかわかりませんが、チャレンジしてきたいと思います。

pc Nikon D5000

ハムから面白い、いや観れば感動すら覚える動画を教えてもらいました。
既に1年位前から、YouTubeで話題になっていた"Where The Hell is Matt?"というものです。

Mattという男性が、世界中のあらゆる所で踊っているというだけの動画ということで、話を聞いた時には正直、そんなの誰でも出来るじゃないと思っていたのですが、この動画を観たらそのメッセージ性に驚かされました。

Mattは最初一人だけで踊っています。
踊りと言っても、リズムに乗って体を動かしているといった程度の踊りです。
世界各地の名所・旧跡、キーワードとなるような場所で、Mattが踊る姿をビデオに収めています。
一人で踊っていたMattですが、いつしか沢山の人たちと一緒になって踊り始めます。
楽しそうに踊る人たち、はしゃいでいる子供たち、映像の中の人たちは、み~んな笑顔happy01

世界中の人々、笑顔、調和・・・平和。
この映像には、そんなメッセージがこめられているような気がします。
暗い話題の多い昨今ですが、この映像を観て幸せな気分になりました。

Mattは1976年生まれのアメリカ人で、元はゲーム開発者。
開発していたゲームは殺戮系の作品が多かったようで、そんなゲームの開発に嫌気がさして、会社を辞めたそうです。
蓄えていたお金で旅に出たMattですが、友人とベトナムに旅行中、互いにビデオを撮り合っていた時に、友人からダンスをしてみろとのリクエストがあったことから、この映像が生まれたという経緯があるようです。

"みんなを殺すようなゲームを作るのに、人生を2年も費やすなんて馬鹿げている"

Mattが求めていたものは殺戮ゲームではなく、世界中の人たちと仲良く、そして楽しく平和に暮らすことなのかもしれませんね。

pc Where The Hell is Matt?

pc A Successful Failure(世界中でダンスする"Where The Hell is Matt?"のまとめ)*個人サイトです(日本語)

大草原の小さな家

私は、TVはほとんど観ない方なので、最近流行っている事やトレンディドラマには、全く疎い方なんです。
だけど、DVD化された映画やドラマを観るのは大好き。
気に入った作品は、自らDVDを購入したり、レンタルビデオ屋さんで借りることもあります。
最近のレンタルビデオ屋さんでは、自宅に居ながらにしてDVDを借りることが出来るようになって、本当に便利な世の中になりました。

そんなレンタルビデオ屋さんのホームページから、このタイトルを見つけた瞬間、懐かしくなってしまい、ついつい借りてしまいました。
「大草原の小さな家」ご存知の方はいるでしょうか?
知らない方のために、ちょっとおさらい。

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大草原の小さな家(だいそうげんのちいさないえ、原題:Little house on the Prairie)はNHK総合テレビで1975年から1982年まで毎週土曜の18時台に放映されたドラマ(その後も数回に渡って再放送が繰り返し行われた)。NBC製作(1974年 - 1982年)。日本語版の台詞の翻訳は森みさ。
原作はローラ・インガルス・ワイルダー(1867年2月7日-1957年2月10日)による一連の半自叙伝的小説シリーズ。原作シリーズは『大きな森の小さな家(Little House in the Big Woods)』に始まり全9作を数えるが、テレビシリーズでは第3作の『大草原の小さな家(Little House on the Prairie)』以降を描いている。西部開拓時代のアメリカを舞台にしており、インガルス一家はウィスコンシン州―オクラホマ州―ミネソタ州―サウスダコタ州と移り住む。ローラが生まれたウィスコンシン州を後にオクラホマ州へ移り、その後ミネソタ州へ向けて旅立つまでの話がまず2時間のパイロット版として制作され、続いてミネソタ州のウォルナットグローブという町を主な舞台とした連続ドラマが、9シーズンに渡り制作された。【Wikipediaより引用

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ローラとその家族が織り成す愛情溢れた作品です。
もうすぐで1シーズンを観終えるところですが、次のシーズンも予約中。

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「ハム&アイの悠々閑々RL生活」は、Hamusuke & AyseのRL日常を綴ったブログです。
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Name : Ayse
Partner : Hamusuke

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